グリコのおまけ

「グリコ」は、大正11年(1922年)2月に大阪の三越百貨店で販売開始されました。
翌年、絵カードが封入され、これがおまけへと発展していきます。
「食べる」と「遊ぶ」は子どもの二大天職。つまり「お菓子を食べること」も「おもちゃで遊ぶこと」も大切であるという考えから、おまけが封入されるようになったそうです。
昭和のおもちゃミュージアムには、約2500点のグリコのおまけや賞品を展示しています。

■昭和初期のおまけ

昭和初期のグリコのおまけや賞品 アンチモニー・土・紙でできたおもちゃ・メダル・フブキの模型・肉弾三勇士の文鎮・グリコ日記・国旗集・組立動物集・組立飛行機集など

昭和2年(1927年)、大阪造幣局に依頼して英雄などの肖像を彫った精巧な銅製のメダルを製作し、おまけとして入れられました。このメダルは当時の子どもたちにとっては宝物だったのでしょう。そのため、紙製や木製のおまけに比べ、かなりの数のメダルが残されています。
そして昭和4年(1929年)になると、おまけの小箱がつき、その中に豆玩具が入れられました。
日中戦争(1937年)が起こると、戦時下で次第に物資不足となったため、おまけの素材は紙や陶器が中心となり、兵器・軍艦・戦車・サーベル・兵隊など、戦争をテーマにするものが多くなっていきました。
また、昭和12年(1937年)〜昭和15年(1940年)ころには、グリコの箱に入っている引換券を集めて、軍艦の文鎮・ブリキの戦艦模型やグリコ日記などをもらう引換賞品もスタートしました。
昭和16年(1941年)に、太平洋戦争が始まり戦況が悪化すると物資が急速に不足するようになり、昭和17年(1942年)に白箱・おまけなしの配給グリコ になり、昭和18年(1943年)には生産中止となりました。
そして昭和20年(1945年)6月には、江崎グリコの大阪と東京の工場は空襲によって消失してしまいました。

■昭和22年〜30年代のおまけ

戦後、昭和22年(1947年)には、グリコは復活しましたが、物資統制されていたため、おまけの材料は紙や木、粘土が中心でした。
物資統制が解除された昭和24年(1949年)11月から、グリコの復活生産が本格的に始まりましたが、おまけはほとんど紙を素材にしたもので、豆絵本やからくりおもちゃ・野球選手のブロマイドなど、工夫されたものでした。
昭和25年(1950年)になると、鉛とアンチモンの合金であるアンチモニーを素材にした、連結できる汽車や電車・オートバイ・飛行機・人形など、多彩なおまけが登場しました。
そして、昭和28年(1953年)ころから日本経済は急速に復興し、テレビ放映がスタートする中、セルロイド・モール・木・ブリキ・アンチモニーなど、さまざまな素材をつかってカラフルな時計や生活用品・動物・人形のおまけがつくられました。
また、昭和30年代に入ると技術革新が急速に進み、テレビ・冷蔵庫・洗濯機の「三種の神器」が民衆の憧れとなると、それらの電気製品のミニチュアモデルのおまけも登場しました。
このように、グリコのおまけは時代の証言者となっています。
その意味で、グリコのおまけを見ることは、日本の歴史を見ることに他なりません。

■引換券を集めてもらう賞品